横殴りの雨が降りしきる中、海岸沿いの洞窟に彼らは居た。すぐそこの砂浜からは、風雨にかき消されながらも干戈を交える音が聞こえる。特異点の怪物を相手に、三騎は粘り強い耐久戦を展開していた。本来なら一撃必殺のはずの宝具が絶え間なく展開されている様子はグランドオーダーならではの光景だろう。
 洞窟の入り口で金髪の少年が、外の様子を伺うように岩壁に寄りかかっている。柔らかな髪は細かな水滴をしっとりと纏い、僅かにすぼませた唇からは、無聊を慰めるように小さな音が絶えず漏れていた。少年の口笛は雨音の隙間を縫うようにして洞窟のなかに満ちていた。

 ふと、空気が動いた。気配を感じ少年が振り向く。
「おはよう、マダム」
 銀髪の女性は横たわったまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。赤い目は薄闇を映し、どこか茫洋としている。まだ完全な覚醒には至っていないようだ。
「…よい、うたですね…」
「ごめんね、うるさかった?」
「いいえ、故郷の夢を見ておりました。何という…?」
 彼女の問いの意味を悟り、少年は言った。
「さびしい野原に埋めないで」
 僅かな衝撃が洞窟のなかを駆け抜ける。すっかり目覚めたようで、瞳を見開いた女性に少年は言った。
「…っていう歌。母さんがよく歌ってたんだ。カウボーイの間で流行ってたんだって」


「ご無礼を! 巴は…、いえ、あの大蟹は!?」
「オーダーチェンジでエミヤが出た。火に当たっていたまえ」
 声の主の姿を認めると同時に、巴は自分の体の下に敷かれている布に気付く。潔癖の気がある彼が、しかし率先して提供したのであろう厚手の外套は、焚き火の熱を含んで暖かかった。
「ありがとうございます、しかし・・・」
「この戦闘はかなり長引く。 少しでも休んで次に備えるべきではないかね?」
「…ええ、そうですね」
 諦めたように、巴は体の緊張を解いた。それが伝わったのだろう、ニコラ・テスラはどこか満足げに焚き火を掻く。火勢が増して、洞窟の中は少し明るくなった。

「王様が心配?」
 問いながら火に近寄って来たビリーは、岩に立て掛けてあった帽子を取った。…顔をしかめる。まだ乾いていなかったらしい。ひっくり返して置き直す。その様子を見守りながら、巴は答えた。
「いいえ、あの方はお強うございますから。まさか助太刀しようにも、近寄れぬほどとは思いませんでした」
「ウルクでは一緒に戦わなかったの?」
「ええ、一度も。あの都での『わが君』は王宮で万事を差配し、城壁から檄を飛ばすことを務めとしておいででしたので、荒事は我らサーヴァントに任せておられました」
 火を囲むように座ったビリーが、傍らのテスラに言う。
「聖杯戦争に呼び出されてあの人がマスターだったらちょっとビビるね」
「かなり、だ」

 巴は他愛ない二人のやり取りに頬笑んだ。
「良いマスター殿でしたよ、あの方は」
「へえ…」
 ビリーの関心が寄せられたのを察し、彼女は遠い記憶…正確に言えば記録なのだが…を辿って言った。
「どうやら我が真名…ともえ、というのは西国の方には難しい音のようでして。最初の頃はとぅもい…もわ…なんだかそんな風で、少し苦労しておいででした」
 苦労もせずに最初から口馴染みの良い愛称を付けてしまったビリーはにやりと笑った。もっともそれは既婚女性への敬称なので、あだ名というほど砕けたものでもなかったが。

「それが、カルデアで再びまみえるなり、あの方はしっかり『巴』とお呼びくださいました。恐ろしく記憶力の良い方でしたので、巴のことも折に触れ思い出されていたのでしょう。後悔だけはして欲しくなかったのですが、それも杞憂のようでした」
 その場面のことは二騎もよく覚えている。収束した光の中から姿を表した女武者の姿を認めるなり、賢王は言った。「先の戦、大儀であった」。「お前の献身は確かにウルクの助けとなり、ひいては人理修復の魁となった。己なくして有り得ぬこの世と誇れ、巴よ」と。まるで数日前に終結した合戦の評定を下すような賢王の口上に、巴は型通りに座し頭を垂れ、感じ入った声音で一言、恐悦至極、と呟いたのだ。

 異様な光景の意味を正しく理解できたのは、あのとき第七特異点へレイシフトしていたメンバーだけだったろう。最古参の弓兵であるビリーは、当時を懐かしむように言った。
「マダムは魔物の将軍と相打ちになったって王様から聞いてたよ。よく働いてくれたって、居なくなったのが惜しいって」
「勿体なきお言葉。サーヴァント冥利に尽きるというもの」
 落ち着いて答える巴に、テスラが問い掛ける。

「それは…賢王の指示で?」
「いいえ。あの方は最初から全てお見通しだった、それだけです」
 千里眼、という言葉が二人の脳裏をよぎった。
「単騎で侍大将と相対してはならぬ、とあの方は口を酸っぱくして仰っていました。巴はそれを、己が使い魔に対する心配、心遣いと受け取っておりました。しかしあの方の赤い目にはきっと、最初から見えていたのでしょう。一騎打ちにて大将首を掻き切って、もろとも炎に焼かれる巴の姿が」

 彼女の息遣いを、炎のはぜる音がかき消す。その白い肌に焚き火の赤はよく照り映えた。
「巴はあの武功を立てるため、終わりゆく世界へ呼び出されたのでしょう。それが巴の役回り、宿命だったのです。そのことは賢君も先刻ご承知だったはず。だからこそあの方のお心がいたわしい」
 二人の視線が静かに彼女へ注がれる。巴御前はゆっくりと半身を起こすと、着衣を整えながら目を伏せた。
「未来を見通す目というもの、さぞや便利であろうとは思うのですが、巴はとても持ちたいとは思えませぬ。あの方はあの末法の世で、理解者たる伴侶も先の希望となる子もなく、何を支えに戦っておられたのか…」
 ひときわ大きく火が爆ぜるまで、彼らは炎に見入ったまま物思いに耽っていた。サーヴァントは死者ではない。かつで生きて死んだ人間が、世界に刻んだ痕跡のような、実存と空想のどちらともつかぬ曖昧な存在だ。それでも彼らは炎の中に、自我のゆえんたる記憶を見ていた。

「マダムの夫君は幸せ者だ」
「まあ…お恥ずかしい」
 静かなテスラの言葉を受けてビリーが問う。
「あれ、ニックは結婚してたっけ」
「面白いことを教えよう。我らがカルデアのアーチャーに既婚者は一騎しかいない。貴方だ」
 巴への冗談めかした言葉を問いへの答えとして、稀代の科学者は小さく笑った。連られて笑う巴の肌を、空気の揺れる感覚が撫でる。魔力が大気を震わせたのだ。三人は目を見交わすと、洞窟の外へ神経を集中させる。戦う三騎から迸る魔力、その中のひとつが爆発的に膨れ上がっていく…


 幻想のキャメロット城が豪雨の海岸に聳え立ったのを、彼らは気配だけで感じていた。
「マシュいま詠唱『ロオオオオオオオオ!!!』だけで宝具出したね」
「大事なのは気持ちなのでしょう」
「何度目の宝具か数える気も失せるな…おお、乖離剣!」
 他と間違えようはずもない、壮大な魔力の奔流にテスラの声が僅かに上擦る。思わず、という風に立ち上がり、巴が洞窟の入り口へ駆け出した。一拍遅れて二人も続く。賢王たる彼がかつての姿に立ち戻り、天地開闢の力を行使する様は、そうそう見られるものではない。
 曇天を裂くエアの光輝が、彼の姿を仰ぎ見る全ての者を照らし出した。原初の光とともに降り注ぐ轟音。その後に残った物は何もない、はずだった。

「…エアで死なないヤドカリって何なの?」
「ビリーさん」
「なんか良く分かんないけど…時空? 次元? を轢断? してるんでしょ? 何で効かないの? 何なのあのヤドカリ? もう放っとこう?」
 手すさびに弾倉を回すのは彼の癖だが、今に限っては暇つぶしではなく精神の安定を図ってのことだろう。英雄王の宝具には何の欠けも仕損じもなかった。ただただ、ヤドカリの殻が異様に硬いのだ。投げやりになってしまったビリーをテスラが窘める。
「考えてみたまえ、乖離剣で壊れない外殻だぞ。原初の創造神エアの権能を再現した魔力により圧縮された空間による真空波を放出することで為される次元の切断に耐えるのだぞ。捕獲できればあの殻は、核だろうが煉獄だろうが話にならない超硬質シェルターになり得るではないか。研究しその構造を解析できれば科学的にも魔術的にも大いなる進歩が…」
「悪いけどこっちは無学なアウトローでね! カルデアに戻って酒飲んで寝たい気持ちでいっぱいさ!」

「ビリーさん、あまりご自分を卑下するものではありません」
「マダム…」
 自分の苛立ちからは的外れなフォローをされ、ビリーは少し鼻白んだ。
「ビリーさんは読み書きが達者です。詳しくは存じませんが、少なくとも巴が生きておりました時分にはごく一部の限られた者しか与えられぬ技能でしたよ」
「そうとも、君は当時のアウトローにしては高い水準の教育を受けたのではないかな」
「いや…そういう話では…」
 巴の言葉に乗るように、テスラも同調し始めた。少年の眉間に苦々しげな皺が刻まれる。

「君は知的好奇心を持って先人の知恵を読み解き、理解し、そこから導いた考えを記すこともできる。これはまったく、無学とは言い難い。小難しい理論を振りかざすだけが賢者ではないのだよ」
「あはは嬉しいよサンキュー、でもニック僕が言いたいのは…」
「現にビリー、君が先日読みにくいと持ってきたあの米国史の本はいわゆる専門書に類するものだ。教養に縁遠い、むしろ忌避するような輩ならまず手に取ることすらしないだろう。興味を持ち手を伸ばす、この心身の働きだけとっても君に向学心という名の知性のきらめきが…」
「もういいから! いいから許して!」

 あまり人に知られたくないことまでをもさらりと口にされてしまい、ビリーは思わず岩場を蹴った。少年らしい稚気ではあるが、普段の彼のニヒルな雰囲気からは想像しにくい。巴は助け船を出すように声を掛ける。
「よろしいではないですか。巴も図書室には参りますよ。その本は面白うございましたか?」
「…途中だよ。知らない言葉が多くてさ」
「素晴らしい。ビリーさんの世界はまだまだこれから広がります」
 サーヴァントなのに? という言葉をビリーは飲み込んだ。巴の赤い瞳は「先刻承知」と語っている。混ぜっ返したところで無駄だろう。すっかり意図しない方向へと会話を誘導されてしまったビリーは、岩壁へ背を預けると長く長く息を吐いた。

「母さんが教えてくれたんだ」
 小さな言葉の先を、二人は視線で促す。
「母さんは事業家のひとり娘で、家庭教師に勉強を教わったような人なんだ。とち狂って親父と駆け落ちなんかしちゃったんだけど」
 小馬鹿にしたような乾いた笑いを全て無視してテスラは言った。
「そして君に言葉と歌を授けてくれた」
「ん…」
「さぞ賢いご婦人だったのでしょう。あなたは幸せ者ですね、ビリーさん」
「…うん」
 岩肌に背を預けて座り込んだビリーは、首に巻いたスカーフで口元を覆っていた。
「ビリー、スカーフの中に飽きたらまたあの歌をうたってくれたまえ。気に入ったよ」

 返事の代わりにスカーフを目元まで引き上げる。覆面強盗のようになってしまった彼の姿を見て、ようやく巴はビリーが恥ずかしがっているのだと思い至った。掛ける言葉に困る巴にテスラは目配せし、軽く首を振る。目元に含まれた笑みの色に、放っておけ、という言外のメッセージを受け取って、巴はビリーの隣に並んで座るに留めた。
 前線の三人もどうにか気を取り直したようで、浜辺からは再び音が聞こえていた。雨風、潮騒、攻撃音。終わりの見えない無人島の戦いは、もはや根競べの様相を呈している。
『テスラさん、王様と交代お願いします!』
「了解」
 マシュからの念話に短く答えると、テスラは素早く立ち上がり、焚き火の傍に置き去りにしていた外套を取り上げばさりと羽織った。足早に洞窟の出口へ向かう、大柄な背中を二騎は見送る。人類史を高みへ押し上げた星の開拓者、その雷電は何物をも貫くだろう――


「ちょ…ヘイ、嘘だろ!?」
 半ば叫ぶようなビリーの声が、洞窟内にこだました。雷雨の空に忽然と浮かぶ異質なものへ、三騎は目を奪われている。光と闇が絡まり合いながら収束するような、時空の渦。レイシフト時に見慣れた現象だった。
「強制撤退…!」
「採算度外視だな。よほどの緊急事態とみえる」
 口元に手をやる巴をよそに、テスラはどこか冷静だ。前線の三騎は既に退去らしい。エミヤの固有結界の名残りだろう、砂浜に無数に突き刺さった武器はそのままだ。取り残された大ヤドカリが、どこか所在無さげにビリーたちを見ている。

 とにかく何かカルデアで、緊急事態が発生したことは確かだろう。巴に手を貸し先に行かせ、ビリーは砂浜を振り返る。
「ああ…せめて捕獲なりとも…」
「ニック急いで!」
 特異点の怪物に未練たらたらなテスラだったが、ビリーに引っ張られるようにしてついにその姿も掻き消えた。観測者の居なくなった特異点の無人島、それがその後どうなったかは、シバのレンズを覗くよりほかに知る術もない。
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