ライダーといえば神格や身分の高い英霊の多いクラスだが、まるで狙い澄ましたかのようにこのカルデアへは無法者しか召喚されて来なかった。つまり人属性の混沌・悪、海賊のサーヴァントたちだ。
 暴れまわった時代や場所は違っても、やはり命を的にして海に生きた者同士、それなりにシンパシーはあるらしい。別段仲良く慣れ合っているわけでもないが、海賊たち、と一括りに呼ばれることに当人たちは何の不満もないようだった。
 刹那的で享楽主義な彼らは、お世辞にも上品とは言えないこのカルデアで、特に好戦的な一団だ。意気揚々とレイシフトしては、その気前の良さで大量の土産を持ち帰ってくることもよくある。



 夜の談話室では食後の英霊たちが気ままにたむろしていた。美しい男女の悩まし気な顔がアップになった大型テレビには、角の生えた女性が三名食い入るように見入っている。わざわざ椅子を移動させてテレビの真ん前へ陣取った彼女らの他にも、三々五々にテーブルを囲み、ソファで向かい合ったサーヴァントたちの話声でその場は心地よいざわめきに包まれていた。
 談話室を見渡せる出入口近くのソファ、大きな観葉植物の隣に腰掛けた賢王は、悠々と足を組み新聞など読んでいた。ここに居ろと言われているのだ。とはいえ新聞ももうテレビ欄まで読み終わってしまったし、テレビは恋愛ドラマに占拠されている。一度部屋へ戻って出直すか、と新聞を畳んだところで突然、見知らぬ気配がした。

「貴様が賢王ギルガメッシュか」
 居丈高な声が談話室に響いた。ギルガメッシュは億劫そうに片眉を上げると、声のもとをちらりと見てからライダーたちの纏め役を呼びつける。
「ドレイク! 何だこれは」
「言っただろ? 土産だよ。どうしてもアンタに会いたいってんでアタシの船に乗せて来たのさ」
 “土産”の後ろからひょっこりと顔を出した小柄な女性は、驚きもせず陽気に答えた。海賊たちの中で最後に召喚に応じた彼女だったが、太陽を落とした女、の美辞に違わぬ力と気風の良い人柄で、古株たちからも非常に慕われている。

 管制室から館内放送で「派手な土産があるから待っていてくれ」と彼女の伝言を受けた時から、ギルガメッシュには何となく嫌な予感があったのだ。それにしてもまさか本当に、余所のカルデアの英霊を持ち帰ってくるとは! 彼も幾度か戦場で目にしたことのある光輝。紅海を越えた西方の、日の沈む砂の国のファラオは、談話室の入り口で無表情のまま腕を組み立っていた。
 目の前で堂々と無視される格好になったオジマンディアスだったが、怒りをあらわにすることはなかった。ゆっくりと賢王の腰掛けるソファに近づくと、手にした杖の先、湾曲した部分で彼の頭を引っ掛け、強引に後ろを向かせる。不自然な角度で首を捩じ上げられたギルガメッシュだが、その赤い瞳は冷え冷えと闖入者を睥睨していた。

「なるほど、黄金のに比べれば些か薹が立っておるな」
 オジマンディアスの声に熱は無い。不思議な生き物を前にしたかのような表情には、ギルガメッシュを脅威と見なさずその内心も鑑みないという高慢さが表れていた。ふたりの視線が中空でぶつかり合う。沈黙を破ったのはギルガメッシュだった。彼はオジマンディアスを見上げた姿勢のままで懐を探ると、何かを掴み出した。

「これで勘弁するが良い」
「何の真似だ?」
「小童は母様の乳がなければご機嫌斜めと見えるゆえな。喜べ、ミルク味だ」
 にやりと笑うとギルガメッシュは包装された飴を押し付ける。
「貴様…」
 その手を即座に払い落し、オジマンディアスの声は低く震えた。それを聞きギルガメッシュの笑みは益々深くなる。今にも笑い出しそうな声で彼は言った。
「おしゃぶりも必要か? ん? まだオモチャが足りぬなら…」

「それ、存分に」

 賢王の声と、オジマンディアスが後頭部に硬く冷たい感触を得るのはほぼ同時のことだった。即座に現状を理解した彼だったが、もはや動くのは愚策に過ぎない。
「いやあ見事な純金だ。幾つ延べ棒ができるかねえ」
「ラピスラズリも大粒ですわ」
「その杖みたいな奴は何だろう? 売れるかな?」

 カトラスの背がカンと音を立てて、オジマンディアスの手から杖を叩き上げた。カラカラと音を立てて床に転がる杖をよそに、ようやく解放されたギルガメッシュは暢気に首など回している。
脇腹にも金属のようなものを強く押し付けられ、大振りの刃物の切先に頬をぺたぺたと撫でられながら、オジマンディアスは即座に背後の戦力を分析した。自分をここへ連れて来た女海賊たちくらい、己一人で片付けることは容易だろう。
「下劣な墓暴きめが…」
 言いながら隙を探るオジマンディアスへ、愉快そうにドレイクは返す。
「はは、商売人って言っとくれよ。舌が回るうちはね。ティィィーチ!」

 彼女のドスの効いた声はカルデア中に響くようだった。首を動かせないオジマンディアスの視界の端へ、のっそりと男の影が差す。遠目にも分かるほどの巨躯、長く伸ばされた黒い髭が印象的だ。ぎらぎらと光る双眸と高い鷲鼻が酷薄そうな印象を与える。男はじろりとオジマンディアスを見遣ると、溜息をつきながら言った。
「はぁ~? 拙者ひんぬーのおにゃのこ以外いじりまわしたくないでつ~」
「海賊が金目のモンを選り好みするんじゃないよ!」

 警戒を張り巡らせていたオジマンディアスの思考は一瞬、驚くほど気の抜けた…否、ふざけた喋り方の男へ奪われていた。その間隙を突かれた。
「しょうがないBBAですなぁー」
 どん、と一足飛びに距離を詰めた海賊が、鼻の触れるほどの眼前に飛び込んで来た。オジマンディアスの視界いっぱいに、鉤爪を構えた海賊の満面の笑みが広がる。ファラオの背を支えるのは二丁の銃と一振りの剣。金色の瞳は見開かれたまま閉じられず、彼の息は完全に止まっていた。

「だーいせーいこーうwww ねね、びっくりした? びっくりしたでござるかぁ~?」

「あははははは、まっさか王様の客人を身包み剥ぐと思ったかい?」
「そんな割に合わないことしないよねえ」
「本気でやるならここへ来る途中でもうバラしてますわよ」
 女性陣の明るい笑い声が談話室に弾けた。上機嫌の大男から手荒く肩を何度か叩かれ、舌打ちとともにその手を払いつつ、オジマンディアスは低く唸る。

「たばかったな…」
「なかなかの即興芝居であった。海賊どもは器用であるな」
 のんびりと言う賢王は、もはや来訪者の方など向いてはいない。ドラマが終わったのだろう、ぺちゃくちゃと喋りつつ談話室を後にする女性陣からリモコンを受け取り、彼はチャンネルを変えた。報道スペシャル、の題字と共に流れ始めたのは赤茶けた大地を走る迷彩服の男たちの映像だ。
「気は済んだであろう。疾く去ね。我は忙しい」
 悪化する中東情勢、反政府ゲリラ、無差別テロ…アナウンサーの声の合間に、かつて彼の治めた国がちらりと映ったせいもあったのだろう。

「…見て行くか?」
「うむ…」
 オリエント地域に文明の花を咲かせた賢王の声に、オジマンディアスはひとつ頷き断りもせず隣に座る。賢王の誘いには、食い入るように画面を見つめるエジプト人への思いやりというよりも、後ろに突っ立っていられたら我の気が散る、という理由の方が多く含まれていたのだが、わざわざ口に出すほどのことでもなかった。



 一言も声を発することなく報道番組を視聴し終えた客人へ、賢王は不思議そうに問い掛けた。
「貴様のカルデアにはテレビが無いのか」
「無い。みな現世の些事には興味が無いか…否、己の権能でどうにでも出来るとみえる」
 聞けばオジマンディアスのカルデアに所属する英霊のうち、多くを占めるのは王と神なのだという。ずいぶん違うものだな、と呟くギルガメッシュへ生返事を返しながら、オジマンディアスは談話室を見渡していた。咥え煙草で賭け事に興じていたアウトローたちが引き上げて行き、テレビを見終わった家族連れはカードゲームへ移行している。

「…まことに一柱の神もおらぬとは」
「神どころか神に祈る者すらおらぬ不道徳なカルデアよ。スラムでも掃き溜めでもモラルの墓場でも、帰ったら好きに吹聴するが良い。そちらには我も居るのであろう?」
 軽く言いながらギルガメッシュは見る者の居ないらしいテレビを消した。ふと談話室が静まり返る。これまでの会話で賢王は、オジマンディアスがここを訪れた理由を察していた。どうやら自分の別側面は、このファラオと仲良くやっているらしい。

「余の知る貴様であれば、劣悪な場所に呼びおって、と気を立てるところなのだが」
 楽しげなオジマンディアスの声が、ギルガメッシュの推測の正しさを裏付けるようだ。自分のよく知る神に、似て非なる人が居るらしいと聞いて、見物に来たのだろう。賢王はオジマンディアスの望むであろう言葉を与えた。
「生きるためには神をも殺すくらいの気概がなくてはつまらんだろう」
「やはり貴様はもはや、人か」
 賢王が口の端だけを吊り上げて笑う。
「そうか…」
 オジマンディアスは組んだ両手で口元を隠すようにして、しばし何か考え込むような素振りを見せた。衛宮家のトランプは延々と続いている。報道番組は二人のエミヤが真剣に視聴していたが、その後に始まったババ抜きは、三人ではそう面白く無いことが明白だった。


「貴様ら、そろそろ飽きぬか」
 遂に呆れたようにオジマンディアスが声を掛けた。
「いつまでその単調な札遊びをしておるつもりだ。しらじらしい」
 彼は賢王が止める間もなく立ち上がると、つかつかと彼らのテーブルへ近寄り、イリヤスフィールの顔を覗き込む。
「童はもう寝る時間であろう?」
「お父さん…」
 眩すぎる太陽の光輝に怖気付いたのか、思わず、という風情で彼女は傍らの父の袖を引く。元よりエミヤはテーブルの下で銃を構えていた。弓兵はゆっくりと椅子から立ち上がり、ファラオの視線を遮るように割って入ろうとする。一触即発の雰囲気を変えたのは、誰もが予想しえない言葉だった。

「貴様、父親か」
 エミヤを見下ろすオジマンディアスの言葉には確かに喜色が滲んでいた。
「言われてみれば確かに、魔力の質に似通ったところがある。顔は…嫁御がよほどの美女とみえるが」
「あんた失礼だな」
 警戒を解かなかったエミヤだったが、ついぽつりと漏らした声に場の空気が緩んだ。なるほどこやつのカルデアには“エミヤ”がおらなんだか、と賢王はようやく思い至った。考えてみれば神威にも権威にも縁のない者たちではある。

「親子三人揃って召喚されるとは、よほどの大事を成した一家であろう。いや、面白い」
 弓兵をも数に入れたのは単に見た目の類似であったのだろうか。背後の女は見えておらぬだろうに、と訝しむ賢王をよそに、オジマンディアスはイリヤスフィールを抱え上げ、腕に座らせ頭を撫でた。若い男から幼児のように扱われ、イリヤスフィールは恥ずかしさと困惑で声が出ない。見るからに高慢そうなサーヴァントの行動に付いていけないエミヤたちをよそに、ギルガメッシュは後ろから問い掛けた。

「幼子が好きか」
「好きだ。童は灯台であり種子である。見ておると気が晴れる」
 年は幾つだ。当ててやろう。八つほどではないか。なんと、十。いかんぞ、もっと食べねば…。喋りながらイリヤスフィールを床に降ろすオジマンディアスは、おそらく彼の居場所ではけして見せない顔をしていた。



「もう良いぞ。ご苦労であった」
 賢王の言葉にオジマンディアスは驚かなかった。三騎がギルガメッシュの護衛として残っていたのだということくらい、既に彼は分かっていたからだ。アサシンのエミヤが賢王に歩み寄り、手にしたままの小型の拳銃を渡す。
「念のため、これは持っていてくれ」
「気持ちは有難いがな、もう入りきれぬ」
 眉を顰めながら賢王は、腰の防具の内側に両手を入れた。ソファの前に置かれたローテーブルへ、ごつっと重い音を立て二丁の銃が転がる。思わぬ先客にエミヤは低く喉を震わせて笑いつつ、子どもたちを連れて立ち去った。彼の拳銃は置きざりだ。三丁の銃を見遣りながら、うんざりとした声でギルガメッシュがぼやく。

「貴様が妙なちょっかいを出したせいだぞ」
 わざわざ待ち合わせ場所に談話室を指定した時点で不穏な気配はあったのだ。賢王に物を渡すだけならば海賊が王の私室へ赴けば良いのだから。それを察したのはギルガメッシュ本人だけに留まらない。今晩のこの部屋には、常よりも沢山の英霊がたむろしていたし、賢王に武器を託しておく者もあった。ここの住人は基本的に用心深いのだ。
 そんなところにあのようなパフォーマンスを見せられては、エミヤの行動も致し方ないだろう。しかしギルガメッシュの恨み節も意に介さず、オジマンディアスは指先で銃をつつきながら怪訝そうな顔で言った。

「貴様、魔術師として呼ばれたのであろう? 黄金のは弓兵の枠ではあるが、無尽蔵の魔力を行使する。なにゆえ貴様がこのような、鉄きれに頼るのだ」
「分かっておらぬなあ」
 ギルガメッシュは肩をすくめると、まるで教師が生徒へ教え諭すような風情で言った。
「然様、我は思うがままに魔術を使い、火を放ち雷を降らせることもできる。貴様も重々承知の通り、だ」
 含みを持たせた声色に、オジマンディアスも何事かひらめいたらしい。彼の反応を見ながら賢王は言葉を続ける。

「いかにもこれは鉄っきれ、魔術の素養もなければ神核など到底持ち得ぬ、ただの人間が使う道具よ。だからこそ、貴様はこれの怖さを知るまい」
 言うと彼は拳銃のうち一丁を手に取った。六本の筒をまとめて一つの銃身としたような、異様な見た目だ。蓮根の断面に似た銃口を見詰める客人へ、ギルガメッシュは言葉を聞かせる。
「この銃の持ち主はな、看護婦だ。病に伏せ傷に倒れた人間を癒したい、その狂おしいまでの一念で座へ上り詰めた狂人だ。そんな、戦闘の対極にある女がこれを使う。なぜか? 膂力も魔力も技術さえもなしに身を守れるからだ」
 賢王はゆっくりと、その凶暴な銃をファラオへ向けて構えて見せた。褐色の肉体の心臓を狙い、引き金に指を掛ける。

「掌の感覚が半分…最悪、指の一本があればよい。我はそよとも魔力を使わず、予測の余地すら与えぬまま、指一本で貴様の肉体を破壊する。火薬で撃ち出された高速回転する鉄球の前に、守りの護符はただの紙よ」
 オジマンディアスは黒い鉄塊を凝視した。魔術師を無力化するならば、詠唱できぬよう口を塞ぎ、印を結べぬよう手足を束ねるのが定石だろう。魔力を封じてしまえばそれらの手間もない。その先入観を持つ者にとって、この道具は確かに有効だ。彼は視線を逸らすとテーブルへ手を伸ばし、もう一丁の銃を持ってみた。

「そちらは極め付けだ。なにせ大権能持つ地母神を屠った銃ゆえな」
 賢王の声に思わずほう、とオジマンディアスは息を漏らした。先ほどの銃に比べれば随分シンプルで軽く、いっそ華奢ともいえるような形をしている。これが神を、と手の中に視線を落とす彼へ、ギルガメッシュは歌うように言った。
「それはけちな盗人の得物だ。我らからすれば小指の先にも満たぬ、蚤の瞳のごとき僅かな財を奪い合い殺し合って、あたら短い一生を終えた。いわゆる義賊という奴で、民草から深く愛されたため座に上ったが、英霊としての歴史も浅い」

 オジマンディアスの置かれた環境からすれば、そのような輩が英霊として存在していることそのものが驚きだ。目を白黒させる彼をよそに賢王は、実に楽しげに言葉を紡ぐ。
「そんな男がティアマト相手に早撃ち勝負を仕掛けた時、我は内心で喝采しておった。これこそ人が作る人の世の姿であるとな。いや、まことにあれは傑作であった! あの思い上がった人類悪の獣もまさか、己が射殺されるとは思うまい!」
 快活に上がった笑い声は、オジマンディアスが良く知る黄金の英雄王そのままだ。上機嫌のギルガメッシュは身振りをまじえ、神殺しの武勇伝を語って聞かせる。地位や名誉はおろか、世に名乗る名すら持たない盗人に浪人、囚人、海賊が、よってたかって星の産み親へ猛攻を加える段になると、釣り込まれて思わずオジマンディアスの口角も上がる。

 ふと話を止めて、賢王ギルガメッシュは問い掛けた。
「貴様いま、人に感情移入したな?」
 オジマンディアスは息を呑んだ。ギルガメッシュの赤い瞳は彼の胸の裡までも透かし見るようだ。隣同士に腰掛けて真正面から見つめ合い、ともすれば呼気すら触れ合う距離越しに、賢王は重ねて口を開く。長い夜のすべては、この問い掛けのためにあったようなものだった。
「神王オジマンディアス。貴様は神か?」


「地上において神の現身となる、人だ」
 僅かな沈黙の後に発された声はまるで、湖面に落ちる木の葉のように、静かな波紋を生み出した。ほう、と溜息を吐くオジマンディアスの横顔は穏やかだ。ゆっくりと賢王の方へと向き直ると、彼はしっかりと真正面から深紅の瞳を見詰める。
「妻の話を聞いてはくれぬか」
「何だ、藪から棒に」
 言葉とは裏腹に、ギルガメッシュの顔に驚きは無い。その雰囲気を肌で感じているのだろう、オジマンディアスは照れも恥じらいもなく、淡々と言う。

「余はカルデアで黄金のと面白おかしくつるんでおるがな、あやつにはこの手の話をしにくい。察せよ」
「勝手に言えばよいではないか。まあ我が聞くかは分からぬが」
 楽しげに口元をゆるませるギルガメッシュへ、はっきりとオジマンディアスは告げた。
「貴様、神であったろう。人の望みと喜びなど、貴様にはけして分かるまいと」
 今度は賢王が黙る番だった。しかしオジマンディアスには、老王の逡巡が不快感によるものではなく、この後の身の振り方を考えているのだということが見て取れた。しかし流石のファラオも、続く言葉の意味までは即座に理解できなかった。

「…岩窟王よ」
 その声は賢王の視線の斜め上、天井とも壁ともつかぬ曖昧な場所へ投げかけられたようだった。
「済まんが、厨房から適当にくすねてきてはくれぬか」
 オジマンディアスは天井を見上げ、ギルガメッシュの顔を見て、再びその視線を追おうとする。だがそれより早く、彼らの背後から声がした。
「見張りの次は使い走りか」

 弾かれたように振り返り、オジマンディアスは目を見開いた。影から男が生えている。正確にいえば彼らが座っているソファの影が、半ばから床を離れて立体として伸びあがったかのように、黒衣の男がそこに居た。影の色をした外套と帽子が、西洋人らしい白い肌と彫りの深い顔立ちを際立たせる。温度の無い陽炎のようなゆらめきが彼の輪郭を不明瞭に見せていた。
「そう言うな、埋め合わせは必ず」
 賢王の声音には、頼むというより宥めるといったのどかさがあった。巌窟王と呼ばれた男は忌々しそうに顎を上げ目を細めると、影から足を抜き出すようにして床に立つ。そのまま外套を翻し音もなくどこかへ歩き去って行く様子もまた貴顕階級然とした振る舞いだったが、オジマンディアスにはどうにも彼が一国の主とは思えなかった。

「…伏兵を残しておったか」
「切り札は見せぬものであろう? あれは強いぞ」
 結局一度も背後を振り返らぬままにギルガメッシュは軽く言う。その言葉に嘘が無いことはオジマンディアスにも分かった。男が纏った色も熱も無い炎は、己の魂を薪に燃えている。人間があのような業を背負えるものなのか。得体の知れぬ気味悪さが今も背後に残っていた。

 しかし同じほどにオジマンディアスを驚かせたのは、ギルガメッシュが男へ下手に出て物を頼んだことだった。彼の知る黄金の王であればそのような言葉は使わない。はなから思いつきもしないだろう。
 やはりこの男は弱いとオジマンディアスは思った。恐らくいま自分が本気で襲い掛かれば難なく倒せるだろう。それはけして自信過剰なわけではなく、純然たる事実だ。だからこそ彼は常に味方を傍に置き、一対一の状況を避けようとし続けた。
 そのうえこの周到さは怯懦と取られることもある。黄金の英雄王には、人の誹りを受けかねない行為を、王ゆえの慢心からすべて擲つ癖すらあったというのに。他者から慕われ尊重される賢王の有り様からは、かつての彼が持っていた、全ての頂点に君臨する者として下々を睥睨する目付きを思い出すことが難しかった。

 ふと、彼は群体としての強さを手に入れたのかもしれない、とオジマンディアスは思い至った。英雄王はただ独りで強かった。今の彼の強さは、無数の人と結びつき、彼らの手によって頂上へ押し上げられることから成っている。そう、それはまるで、当たり前の人が社会で生きる術と同じだ。
 なんとも言えない表情を浮かべたままのオジマンディアスの心を読むように、賢王は彼の顔を覗き込みながら言う。
「我は存外みなから慕われておるゆえな」
「変わるものであるなあ」
 心底からの言葉へ、ギルガメッシュはきっぱりと返す。
「人なればこそ。貴様もそうであったろう?」
 深紅の瞳が笑みを形作る。それが許可と受容の気持ちの表れであると理解したオジマンディアスは、胸中に満ちるものを声へ昇華させるべく呼吸を整えた。



 とうに時計の針は頂点を越えている。しかし談話室から漏れ出す明りは煌々としており、たまに通りかかる者を驚かせた。彼らが室内を覗き込めば、更なる驚きが待っていたことだろう。数時間にわたり妻との思い出を語り続けた光輝のファラオの酔いの具合は、不安定に泳ぐ視線と途絶えがちな言葉で容易に察せられる。
「…余はネフェルタリのことを片時も…断じて片時も、忘れたことはない。だが時折ふと…すべては夢なのではないかと思ってしまう」
「夢、とは?」
 控えめな賢王の相槌に、オジマンディアスは大きく頷くと一気に杯を干した。

「余の魂はネフェルタリと共に冥界で暮らしている。これは絶対の真実である! 余も余の妻も声正しき者であり、生前神には礼を尽くした」
 声高な宣言は夜のしじまを突き抜けて響いた。まったく動じることなく、ふむ、と考えるそぶりを見せながら、ギルガメッシュはテーブルの上に転がった酒瓶を確認する。巌窟王の見繕ってきた酒は、どうやら客人には合わなかったらしい。このままでは悪酔いで面倒なことになるのが目に見えている。

「余は余の一生をあますところなく覚えておる。そのうえで若かりし頃の姿を選び召喚に応じた」
「そうか」
 言いながら自然な動作で賢王は、オジマンディアスの前の酒を水のボトルと入れ替えた。すぐさまオジマンディアスが酒を取り戻す。苦虫を嚙み潰すギルガメッシュへ勝ち誇ったように笑いながら、彼は言葉を続けた。
「ここにはネフェルタリがおらぬ。当然である。ネフェルタリは第二の生を得たのだ。現世の些事にかかずらう必要もなし、なによりかの者に戦など似合わぬ」
 手酌で杯を満たすと、オジマンディアスは一気に呷り、ふう、と肩で息を吐いた。

「…だが、ここに居る余はネフェルタリを看取り見送った日のことを昨日のように思い出す。余の魂までもが遠くへ奪い去られた日のことを」
 ファラオの黄金の瞳がちらりと賢王の視線を捉えた。
「余の魂はネフェルタリと共にある。ネフェルタリと支えた過去の国、そこから生まれた未来の世界、それらすべてを守るために余は戦っておる。しかし一人になるたび思う…いま余は独りだと」
 ギルガメッシュの瞳は刹那、黄金のファラオの姿を視ていた。目の前の有り様ではない。どこかここではないカルデアの一部屋、壮麗な寝台に身を委ね、薄く瞼を開けたまま夜明けを待つ彼の姿。強く気高い王の満たされぬ心は、ギルガメッシュの情動へ訴えかける力を確かに持っていた。

「…何を言うておるのか…許せ。余は酔うた」
 照れたように笑う彼の顔はひどく幼かった。成熟の一歩手前の体つき、踵の先だけを少年期に残したようなオジマンディアスの肉体と、相反するように深い感情の機微。英霊ならではの不均衡は、戦う道具としてならまだしも、日々を生きる命には軋轢を生むのかもしれない。


 ギルガメッシュはグラスを置いて向き直ると、オジマンディアス、と真正面から真名を呼んだ。
「だてに魔術師はやっておらぬ。我は貴様の知る我よりも、多少は芸があるのだ」
 そう言うと賢王はゆっくり手を伸ばし、オジマンディアスの肩に触れ、首筋に手を置く。どこか儀式的な仕草にオジマンディアスは戸惑った。
「こちらを向け。真っ直ぐに、我の目を見よ。…そうだ」
 困惑しつつも従うオジマンディアスの視界は、賢王の目を見た瞬間に唐突に奪われる。一面の赤、と思ったが最後、彼の眼球は目の前の景色を映さず…見えているのは過去の記憶、そのものだった。

「真っ直ぐな、長い髪…小柄な娘だな。頭に花を飾って…これは蓮か。よほど幼い頃からの懇意と見える」
 ギルガメッシュが口にしているのは、今オジマンディアスが見ている景色だ。まだ自分が王子であった頃の、懐かしい思い出のひとこま。貴族の娘であったネフェルタリと初めて出会った時のこと。
「この者か?」
「…そうだ。余の妻だ」
「ふむ。では、辿るぞ」
 ぐん、と記憶が加速した。ネフェルタリを中心として周囲の時間の流れが目まぐるしく移ろっていく。視界を占有されたまま成す術のないオジマンディアスへ、賢王は淡々と言葉を掛けた。

「子が四、五、六…長じる前に死した者もあるか…世の理よな。では端から行くか…」
 そこから先は記憶ではなかった。例えるならば大樹の幹のような、空から見下ろす河川のような、或いは生物の血管のような。有機的に枝分かれした光の筋を凄い速さで追い掛ける、そんな映像が次から次に展開されて、オジマンディアスは息つく暇すらなかった。
 思えばそれは、己が召喚される時の魔術的な文様にも似ていたかもしれない。ひと筋の光は幾つも分岐し、その先でも無数の分岐を迎え、目まぐるしく移り変わる視界はやがて、一面の光の渦に呑まれた。

「ああもう沢山だ!」
 その言葉と共に、唐突に目の前の情景が視覚として認知され、オジマンディアスは居眠りから覚めた人のように、びくりと体を震わせた。見ればギルガメッシュは目頭を押さえきつく瞼を閉じている。近視の人間がよくやる仕草だ。
「貴様とその、ネフェルタリ、との間に生まれた血筋は今も大地で繁栄しておる。数え上げようとしたが万から先は気が遠くなったわ」
 困惑顔のオジマンディアスへ先手を打つようにして放たれたギルガメッシュの声は、光輝のファラオから言葉を奪った。
「軍を率いた者もある。救国に命を捧げた者も、時代の立役者となった者もあったぞ。もちろんそれらを遥かに上回る、市井に生きて死んだ名も知れぬ者たちがおるがな」

「…そうか…そうか…!」
 オジマンディアスの声は震えていた。己の膝へ向けられた視線は、上げると零れるものがあるからだろう。
「これ、泣くでない。まことに小童か貴様は」
 あらかじめ分かっていたかのように賢王は、驚くでもなく穏やかに言った。しかしオジマンディアスは情動のまま、ギルガメッシュへ思いの丈を聞かせようとする。
「余は…妻の名を恋うて呼ぶまいと思うておる…ネフェルタリは今頃、永遠の安楽を得ておるに相違ないゆえ…だが…」
 太く息を吐いて、オジマンディアスは胸から絞り出すように、言った。
「いま、いま余は、ネフェルタリに会い、この喜びを分かち合いたい…」



「立てるか?」
「うむ…」
 反射的に返事をしただけなのだろう。杯を抱え込んだままソファに深く沈み込んだオジマンディアスは、こくりこくりと舟を漕いでいる。駄目か、と呟いた賢王は、軽く振り返ると背後の観葉植物へ声を掛けた。
「エルキドゥ」

 夢うつつのオジマンディアスは眼前で展開する光景を幻燈かなにかのようにぼんやりと眺めていた。つまり、鉢植えから生えた低木の、白茶の枝がそのままたおやかな手指となり、みずみずしく茂った葉は流れるような髪へ変じ…まるで生き物の成長の様子を早回しで見せられているかのような大胆さで動き出した植物、否、人型のなにか、が素焼きの鉢を跨ぎ越してこちらへ歩み寄ってくる様を。
 オジマンディアスの脳味噌が目の前の出来事にようやく異常を感じ、衝撃とそれを上回る理性でもって目を見開くに留めたときには、既に二人がかりで肩を支えられ立たされていた。簡素な亜麻布越しに感じるのは賢王と同じほどの体温で、ひんやりとした木肌のそれを想像していたオジマンディアスをまた驚かせる。言葉の出ない客人へ、ギルガメッシュは囁いた。

「言うたであろう、切り札は見せぬと。だがまあ特別だ」
 エルキドゥがオジマンディアスを静かに見詰める。好意でも媚びでもなく、彼の存在を許容し肯定するかのようなその表情の穏やかさに、警戒心はまったく見えない。ああそうか、とオジマンディアスは息を吐いた。最初からすべて見られていたのだ。なんとまあ、周到なことだろう。
 疑り深い奴め、とオジマンディアスは呟いた。強いものは怖いのだ、用心深くもなる、とギルガメッシュは嘯く。男女の別もつかぬ、緑の髪の美しいひとが空気だけで微笑んだのが分かる。両側から半ば引きずられるようにして夜の廊下を歩きながら、オジマンディアスは今日のことを思い出していた。雑多な人が行き交う広間の様子、電波で垣間見た下界の人の営み、人の持つ武器が神を殺し、そして大地に繁栄する子ら。

 幸福感というには大きすぎる、達成感、満足感のようなものがオジマンディアスを包んでいた。余は人に生まれ人を恋い人を育て人の歴史を作ったと、良い、良い、許す、と胸の裡で繰り返す彼に、ギルガメッシュは囁きかける。
「我は人ではないゆえに、貴様の話に全力の同感を返すことはできぬ。できぬが、我は人の王となったゆえ、共感することはできるぞ」
 思考のはざまに差し込まれた賢王の声に、オジマンディアスの反応は遅れた。片耳から沁み込んできた音を言葉として理解し、その意図を汲み取るまでにも更に少しの時間を要する。黄金のファラオは首を傾け、緑のひとのあどけない表情を凝視し、また勢いよくギルガメッシュへ向き直った。

「…道理で活きの良い緑と思うたわ!」
「やらぬぞ」
 冗談の応酬で、ついにオジマンディアスは高らかに笑い出した。その声を聞きつけたかのか、ぱたぱたと駆けてくる小柄な女性の影がある。彼女の気づかわしげな言葉に被せるように、出迎えご苦労、と言い放つと、オジマンディアスは二人の支えを振り払い颯爽と歩き出した。
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