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ジョジョソン文化から見るジョジョオタクのメンタルの変遷
昨晩、「アニメから五部に入った人にぜひジョジョソン文化を知ってほしい」とツイートしたのだが、そう呟いた私自身が長らくジョジョソンから(というか生放送以外のニコ動から)遠ざかっていると思い至り、久しぶりにタグ検索してみた。
楽しかったし、いろいろ思うところも思い出したところもあったので書き留めておく。
そもそもジョジョソンとは何か。
「ジョジョの奇妙なソング集」のタグが付けられた動画、およびその動画で歌われている歌のこと、だと思う。
基本的には替え歌だ。既存曲の替え歌で勝手にキャラソンを作り、そのキャラっぽく寄せた声で歌い、動画投稿する。お分かり頂けるだろうか。この時点で動画投稿主は、作詞(そのキャラっぽい歌詞を考える文章二次創作)と歌唱(そのキャラっぽい声や歌い方をする歌声二次創作)の二足の草鞋を履いている。この時点ですごいが、芸達者な人は自分で背景の動画も作っていた。何者?
最初に投稿されたのはたぶんもう十年以上前で、確か涼宮ハルヒの憂鬱の主題歌の替え歌だった。その動画のあまりのインパクトに模倣というか悪乗りというかの動画投稿が相次ぎ、ついに一大ジャンルを築いたのだ。
言い方が大げさだと思われるかもしれない。だが全盛期にはニコ動のデイリー・ウィークリーランキングにジョジョソン作品が複数登場するようなことがあったんですよ。
文章を考えて自分で歌って動画も作る、これはもうもの凄い熱量だ。だからもちろん、クオリティは様々だ。
歌はめちゃくちゃ上手いのに動画は黒一色。歌はめちゃくちゃ上手いのに録音環境が質素。歌はめちゃくちゃ上手いけど女性に承太郎は/男性にジョリーンは無理があるよ。などなど。
だがそんなことどうだって良いのだ。ジョジョソンは動画の形をとった二次創作なのだから、熱意と愛情があれば良い。
…で、終わらないのが進化というものだろう。
ジャンルの拡大とともに、ジョジョソンは分業が進んでいく。つまり文章を考えるのが得意な人間が替え歌の作詞をし、動画編集が得意な人間が背景を作り、歌の上手な人間が歌って投稿する。
作品のクオリティは格段に上がり、おそらくこのあたりからジョジョソンの再生数が爆発的に上がり始めたんじゃないかと思う。
そして分業の波は歌そのものにも及んだ。黎明期には「何から何まで自分でやる」のが基本だったジョジョソンは、例えば護衛チームの曲を作った場合トリッシュからアバッキオまで全部一人で声色を変えて歌っていたのだ。これが狂気にならずしてなんとする。
それが、それぞれのキャラクターの声が得意な人間が、それぞれに音源を持ち寄って合体させる(合唱動画)ようになればどうだ。そんなんもう、上手いに決まっている。
ランキング入りしたような作品はこのタイプが多い。
しかしクオリティを追求するようになれば避けて通れない話題がある。人気だ。
先ほど私は「それぞれのキャラクターの声が得意な人間が」と書いた。だがジョジョソンが隆盛を誇っていたころ、声優が付くタイプのメディアミックスをされていたのは劇場版ファントムブラッドと3部OVA・格ゲーくらいのもので、つまりジョジョのキャラクターの九割九分は公式ボイスなんてなかった。「このキャラっぽい声」というのはジョジョソン視聴者の集団幻想に過ぎない。
では幻想の始まりは何なのか。だいたいの場合「そのキャラクターで最初にジョジョソンを作った人」もしくは「そのキャラクターのジョジョソン動画投稿主の中で一番人気がある人」となる。
そして一度「このキャラといえばこの人」のイメージが付いてしまうと、全く別の声色や歌い方でそのキャラを表現しようとした動画には「○○の方が上手い」といったコメントが付くことになった。
顕著なのが前述の合唱動画で、人気キャラをどの投稿主が歌ったかでコメント欄は荒れに荒れる。逆に、人気のある投稿主の持ちキャラ()の歌を他者が投稿する際には、キャプションでそれは涙ぐましい配慮が見え隠れしたものだった。
私にもとても好きな投稿主が居て、彼女の持ちキャラ()はメローネだった。そしてその頃ジョジョソン界では五部の女性人気が凄まじく、投稿主も視聴者も女性の割合が他部に比べて格段に多かった。
趣味でバンドをやっていた? 地下アイドル的な活動をしていた? 彼女はもの凄く歌が上手く声域も幅広かったので、動画を投稿すればあっという間に再生数が跳ね上がる。
おそらく古参の男性ファンは、自分たちの居場所を新参者の女たちに侵略されているようで不愉快だったのだと思う。勿論、他の投稿者のメローネの方が好きだ、という人たちの悪意もあったろう。
彼女の動画はコメント欄もタグも見るに堪えない惨状だった。当時大学生だった私は、暇さえあれば彼女の動画を巡回し、酷いタグを削除し正しいタグを付け直す、という作業を延々と続けていた。
まあ、気分は荒むよね。
不毛な作業をしながら私は考えた。私はジョジョソンの何が好きなのか、どんなジョジョソンが好きなのか、なぜジョジョソンが好きなのか。
導いた結論はつまり「完全に独りぼっち」の精神だった。
黎明期にジョジョソンを投稿していた人たちには、一緒にジョジョソンを作る仲間なんて居なかった。だから作詞歌唱動画編集その全てを自分でやった。猫草からダイアーさんまで自分一人で歌い上げた。その結果出来た動画はけして上手ではなかったとしても、むせかえるほどの熱意があった。
分業した結果クオリティは上がり、ジャンル外の人にさえ楽しんで見てもらえる作品が多く世に出た。しかし、その動画に対する責任感というか、俺は・私はこのキャラはこんなことを考えてこんな声でこんな歌を歌うと思うんです聞いてください、という訴求力のようなものは黎明期のそれに劣るのではないか。
「クオリティ」や「人気」の概念がなかったころ、ジョジョソンは完全に熱意とアイデアが勝負だった。自分の好きなキャラに偏愛を注ぎまくったり、はたまた一発ギャグの勢いで最後まで突っ切る力業であったり。たぶん私はあの頃の、オタクの隠し芸大会のようなノリを愛していたんだと思う。
私は合唱動画も好きだ。音源落としてスマホに入れて聴いてるくらい好きだ。でもジョジョソンのトレンドが「一人で全部を作り上げる」タイプから「得意分野を持ち寄って合作する」にシフトしていき、その結果合唱企画動画のクオリティと比較されることになった完全個人制作の動画が徐々に姿を消していくのは寂しかった。
しかしこれも時代というものなのかもしれない、と私は思った。オタクも積極的に交流して協力して、高みを目指すのが当たり前になったということだろうと。
長々と語ったが、同人誌を作るタイプのオタクにはこれで説明が付くと思う…単に私は「フルカラーの商業アンソロもいいけど個人サークルのコピ本の手作り感が好きなんだよね」というだけなのだ。
そんなこんなで徐々にジョジョソンから足が遠のいた私だが、久しぶりに検索をしてみて驚いた。
曲をUTAUが歌い、動画ではMMDが踊っている!!!!!
個人制作から集団分業へシフトしたジョジョソンは、ついに人間不在になったのだった。あ、いや不在ではない。たぶん音声データ作ってる人とMMD作ってる人は別だし。いや、でも、さ!!!!!
私の胸に去来するのは、お隣さんに配慮した結果優しく小声で歌われることになった花京院ソングや、「理想のリゾットの声に近づけるためあえて酒で喉を焼きました」と語る女性投稿主のキャプションなどだった。
普段から自分のことを老いただの老人だの言っているが、こんなにもまざまざと自分の「旧世代感」を思い知らされることになるとは思わなかった、そんな2019年の始まりである。
2019/01/24(木)
21:45
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