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裸で海を泳ぐこと
『海獣の子供』の映画が公開された。
絶対見に行かないと思った。
どんなに素晴らしいものを出されたって、絶対に喜びよりも不満が大きいと分かりきっているからだ。
この作品は漫画だから良い。理解(した気分になるため)のハードルが高い。
映画になることで、動きと音が付く。とても分かりやすくなる代わりに、作品が内包する無限の可能性、各々が想像力で作り出した『生誕祭』のスケールは確実に小さくなる。
万人に100点の模範解答を見せることで、未だ原作に触れていない一握りの人間が作り出す、一億点の奇祭の可能性が潰えてしまうことが惜しい。
この作品の理解(した気になれる)度は、情報量をどれだけ多く受け止められるかに掛かっている。
どんなに壮大な風景でも、銀盤写真で撮るのとデジタル一眼で撮るのでは解像度が違う。再現できる景色の緻密さが変わる。
そしてこの作品を受け止めるための受容体は、断言してしまうが、感性でも知識でも無く、ただひとえにその人の持つ「海の経験値」でしかない。
大方の人にとっては「よく分かんないけど凄い漫画だなあ」、少数の人にとっては「何か波長が合うな、好きな漫画だな」、ごく一握りの人にとっては「これは私のために描かれた漫画だ」、そういう受け入れられ方をする作品だと思う。この感想の差は、読み手それぞれの海との関わりの差だ。
泳いだことが無い人よりは、プールで泳いだことがある人の方が、そしてそれよりも海で泳いだことのある人の方が、間違いなくあの作品を高解像度で読み解ける。
作品中に出てきた「温度の違う水の塊に乗って移動する」という表現。これを読んだ瞬間、背骨が痺れた。分かる。あまりにも分かる。
足の着かない、底の見えない、暗い海を泳いだことがあるか。
浮上の空気を計算しながら、己に許される深さまでを潜ったことがあるか。
波に翻弄され、海洋生物に恐怖を感じ、自分が海の藻屑になることをリアルに想像したことがあるか。
裸で海を泳ぐと、海中に漂う藻や小さな生物はもちろん、波のうねりも水面の泡も全てが皮膚に絡みつき、己と海の境界など存在しないことを教えてくれる。
圧倒的な強さと大きさは、時に豊かな優しさを、時に無慈悲な恐怖を木っ端のような人間へと見せつける。
自然を守ろう、などちゃんちゃらおかしい。人が海のためにできることなど何も無い。人は海から生まれた海の眷属だ。人がゴミで海を汚すのと、オキアミが海中で糞をするのは同じレヴェルの話だろう。
ゴミで汚れた海では沖合に回遊魚が寄りつかず、水産資源が獲得しにくい。だからダメ。オキアミの糞は海中に多量の酸素を供給し、海藻は繁茂し、海洋生物が増える。だから良い。
結局はニンゲン好みの環境かどうか、それだけなのだ。
海に限った話ではない。山も川も全て、「環境を守ろう」と謳われる環境はいつだってニンゲンに都合の良い環境だ。
美しい自然、というキャッチコピーで映される森には獰猛な獣が居る。素晴らしい草原には毒虫も居れば、足をかぶれさせる湿地帯もある。地球はニンゲンのために作られた星ではない。ニンゲンが作った箱庭ではない。
たまたま、今この一時においては、ニンゲンが繁栄しているだけだ。偶然のバランスが崩れれば当たり前に滅びるだろう。それでいい。
もちろんニンゲンだって野生の獣だ、滅びを回避するために努力するのは当然だ。だから自分好みの環境を保持しようとすることに否やのあるわけもない。
だが、あたかも地球はニンゲンを繁栄させるための舞台装置のような言い方で、地球を守ろうだの自然を大切にだの言うことに腹が立つ。
ニンゲンが少しでも長く快適に暮らし続けるために、他の生物への影響なんか顧みず、ニンゲン好みに地球を改造していきましょうと言え。
ニンゲンは神から特別に作られた存在であり、その他の動物すべてを統べる役目があるのだ、聖書にそう書いてある。だから百獣の管理者として、ニンゲンは他の動物を駆逐してはならないのだ。せめて最低限の影響に留めるべきなのだ。
宗教的真実に基づいてこう主張されればまだ、まだ私的には良い。無自覚な傲慢さ(衣食住に快適なショッピングに安全なレジャーまで確保した上で大切にする自然とは?)に比べれば遙かにマシだ。そんじゃあ今すぐ命を絶つのが一番簡単ですね、とは言っちゃうかもしれないけど。ジャイナ教徒を見習おう!
こういう考えなので、捕鯨とかイルカ漁とかに関しては物凄く、ものすごーーーーーーーく、言いたいことがあるんですけど、完全に怒りの蠱毒になることが目に見えてるしヤバいなこれ『海獣の子供』の話だったのになんで欧米のニンゲンNo.1主義的自然保護めっちゃ腹立つ話になってんだ???
この作品がブッ刺さるには海(に限らず、自然)に対してマジの恐怖を感じたことがあるかどうかが分かれ目になるだろうな、みたいな話なんですけど…。
私の母方の親族はみな港町に住む漁師で、父方の親族とは疎遠なため、私にとって「田舎」と言えば母方の漁村なんですね。
そしたらね、当たり前にみんな海で死ぬんですよ。ニンゲンはあまりに泳ぎが下手だし息も短いから当然ですよね。海に浮かんだ木っ端みたいな船から落ちたら終わりなんだもん。沖の波は速いし重いんですよ。海水温は浜に比べて格段に低いからすぐ低体温になるし、あと船の周りってスクリューが作る波のうねりみたいなのがあって、凄く泳ぎにくいんですよね。そんで、うかうかしてたら鮫とかヤバい毒を持ったクラゲとか居ますから。海においてニンゲン、完全にアウェイ。「きれいな海を守ろう」の海ってこんなんだけど、ほんとにいいの???
そんなんだからね、もう神頼みとか験担ぎとか凄いんですよ漁師って。生きるか死ぬかの瀬戸際じゃあ運しかないってのがみんな分かってるからでしょうね。
同じように海に放り出されて、片方は溺れて片方はロープに引っかかった、とかそういう経験を繰り返していけば、最後には信仰心の強い漁師ばかりが生き残るんでしょう。だから不思議な話だってわんさか生まれます。
海と宗教、もしくはオカルトの親和性の高さ。むしろ海から宗教が発生する。海に対して全くの無力であるからこそ、ニンゲンは海に神を見出して来た。ただ拝んで縋るほかに無いからこそ、海を信仰した。
なんかね、そういう下地が無いと『生誕祭』の底なしのスケールはピンと来ないんじゃないかなあと思って…。
もちろん作者が五巻を費やしていっぱい語ってくれるんですけどね。私的には海中でバラバラにされて食い尽くされたニンゲンは跡形も残らない(海はあまりに広く深いので、陸から認識できるのはごく僅かな事柄しかない)っていう、深淵を覗き込むようなエピソードが好きですねえ。ニンゲンは月まで行ったのに、未だに地球の最も深い海には到達できてないんですよ。おお怖い。最高。
まあそんななので、とりあえず一応、来週映画を見に行きます。
たとえ映画がどんな出来でも、米津さんの歌を聴きに行ったと思えば元は取れると思うことにしました。
私は米津さんを五十嵐ファンのオタクとして信頼しているので、頼んだぞハチ(呼び捨て)という気分です。
せめて最低限、海獣を怖く描いてて欲しいな…。海中で目が合うザトウクジラの巨大な目。こちらを凝視するイトマキエイの意思疎通不能感。お願いしますよ。「こんなに可愛らしく賢いイルカになんて惨い仕打ちを!」とか言う奴を頭から囓る感じの海獣をね、お願いします。
2019/06/08(土)
21:21
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2019/05/22(水)
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2019/05/19(日)
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筋肉痛と焦燥感
ヒプノシスマイク3rdLIVEのライブビューイングに行ってきました。
ぼっち参戦でちゃんとノれるかどうか心配していたのですが、しょっぱなバトル→アンセムで既に腕を振りまくり、ソロ一曲目のWhat's My Name?で無事に絶叫しました。り・おーーー!!!
ライブなんだからノリの良い曲が楽しいんだろうと思っていました。でも生で聴けて良かったなあと今しみじみ思うのは、シナリオライアーとチグリヂアです。
二つとも語りに音程が付いてるような曲だし、声優さんが本領発揮しやすいんだとは思いますが…帰宅してCD聴いてももはや何か物足りない。贅沢かよ。
細かい感想はもう八百万の神々がレポ描いてくださってるし、私自身も終演後にツイッターでだーだー垂れ流したのでもういっかなって感じ。なのでツイッターでは書きにくいことを書き残しておきます。
前提として、私は三次元の人間にはあまり興味が無いので、声優さん個々人の事情や来歴には詳しくないし、調べる気もありません。正直な話、あまり声優さんの顔は見たくないタイプ。キャラ越しに声優さんの顔を思い出したくないというか。
このライブにしても、言ってしまえばアニメの生アフレコ(ただし動画は観れない)を観てる感覚で…要するに、声優さんではなく声優さんが演じているキャラを観ているというか…声優さんたちも舞台上では特に断らない限り意図的にそのキャラっぽい言動をしているわけなので、まあそういうもんなんだと思います。
それでですよ。私の推しディヴィジョンMad Trigger Crew。今回はリーダーの左馬刻役の声優さんが、別のお仕事との兼ね合いで欠席でした。チーム曲の左馬刻パートは、銃兎役の方と理鶯役の方が分担して歌われてました。私は腐れた視点では理銃推しなので、いやー有難う有難うというシチュエーションも多かったんです、が。
銃兎役の方、めちゃくちゃ気負ってましたよね。あがってた…というのとはちょっと違うと思うけど。リーダーのパートを失敗するわけにはいかない、とか、3人揃ってる他チームに対して見劣り・聞き劣りさせるわけにはいかない、とか。なんかそういう切迫感がめちゃくちゃ伝わって来てしまって、キャラに没入できなかったんですよね…。ああkmdさんそんなピリピリしなくても大丈夫だよ、大丈夫だよ、みたいなことをずっと考えてました。
いやまあ推しキャラの欲目もありますけどね、銃兎のパフォーマンスはあんなもんじゃないんですよ!!! あの圧倒的な声量と滑舌と声域に流暢な英語とリズム感から繰り出されるフロウに脳味噌かき回されたせいで、私はCD買って投票してライビュまで足を運んだんです。そんだけの技術とインパクトがある人なんです。
それが自分のソロ曲でカウント間違えるわ歌詞飛ばすわ、単純に準備不足だったのかな? あと普通に、いつもより声小さい(通らない)なって思いました。彼は本当に声が大きいので、収音絞られたのかなって感じもしますが…いやまあこれは仮説ですよほんと。予想でしかないんですが
左馬刻パートばかり練習したんじゃないかと思います、銃兎の声優さん。というのが、他のハマ女も口々に言ってますが、左馬刻パートは完璧だったんです。新曲は発売されてから一週間も経ってないことから、収録も最近だったと思います。新曲でほぼ2人分のパートを新しく覚えて歌いこなせるようにして、これまでの曲の左馬刻パートを覚えて、その後でようやくチーム曲の自分のパート、自分のソロ曲…っていう順序にした結果があの抜けの多いパフォーマンスだったのでは、と。
今の状況がまたまずかったんですよね(と私は勝手に思います)(全ての文の語尾にこの断りを入れたい)。
イケブクロ対ヨコハマ、シブヤ対シンジュクのバトルを終えて、より投票の多かったチームが勝ちあがった結果、決勝はヨコハマ対シンジュクになりました。負けてしまったイケブクロとシブヤのファンは、もちろんより好きなチーム・好きなキャラが居るチームに投票するというオタク的動きをする人も多いでしょうが、「どっちのチームも好きだからライブ観て決める」という人もたくさん居ます。
最終投票前に重要なアピールタイムであるライブを、リーダー不在でこなさなければいけなかった、というプレッシャーが大きかったんじゃないかなあ(と私は勝手に)(略)。
ただでさえバトルじゃないですか。3対2の喧嘩っていう圧倒的に不利な状況をどうにか自分たちだけで、最低でも互角にまで持って行かなきゃ…「やっぱジュクの方が強いな」って思われないようにしなきゃ…という気持ちが、自分はさておきリーダーのパートを完璧にさせたんじゃないかなあと思えてしょうがないんですね。デスリスで寂雷先生役の方の前に出た銃兎役の方、要するに先鋒が大将とタイマン張らざるを得なかったようなもので、もう、ああ…
救いはやっぱり理鶯役の方の存在でしたね。銃兎ソロ曲、ずーーーっと彼が銃兎役の方の1オクターブ下でユニゾンしてくれていたお陰で、音が抜けても歌詞忘れてもすぐに復帰できました。理鶯役の方は銃兎の方に比べて左馬刻パートの受け持ちが少なかったように思います。おそらく理鶯の声域の問題(あまり高い音を歌うと理鶯のイメージが損なわれる)もあると思うんですが、もしかしてリスクヘッジだったのか? という気もします。銃兎の方が左馬刻の穴を埋め、理鶯の方が銃兎のフォローをするという計画だったのでは。そのくらい、気付いたら理鶯の方が銃兎の方とユニゾンしてました。
お陰で大事故は起こらなかったものの、これ銃兎役の方は悔いが残ったライブだろうなと思います。普段は自由自在に歌をうたう方だからこそ猶更…。もしも、万が一、これで最終投票でシンジュクが勝ったりしたら…たぶん物凄い罪悪感を覚えてしまうんじゃないだろうか…。
私はほんとにMTCが好きなんですよ。ほんとにMTCが好きな女の目から見ても、シンジュクのパフォーマンスは完璧だったんですよ。一二三が世界観を作り上げ独歩が精神世界に引きずり込み寂雷先生が脳味噌を乗っ取る。勿論ミスも無くアドリブも完璧で本当に「強かった」。
正直な話、もし私が「ライブ観て投票先決めよう」と思っている人だったら、きっとシンジュクに入れてます。勝負ごととしてあのラップバトルを見たらきっと…勝ったのはシンジュクだろうと…。
あーもーほんといま辛いんですよねー左馬刻役の方さえ居れば! って言っちゃうのは滅茶苦茶がんばった銃兎の方と理鶯の方に対して無礼千万、だけどラストバトルでリーダーが居ないのはやっぱ難しいよ! デスリスは寂雷先生と左馬刻様のリリックの応酬が見せ場でもあるのに!
全身筋肉痛だし喉カッスカスですけどそれ以上に心がつらい今日この頃です
2018/11/18(日)
21:13
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ペンは剣よりヒプノシスマイク
数か月前からチラホラTLで見掛けるようになった謎フレーズ。また何か変な(語弊)ジャンルが爆誕したんだろうなあと思っていたら、審美眼?価値観?を信用しているインターネッツ有名マンの方が激推しされていたので軽率に触ってみました。
感想としては、まだ始まったばかりのコンテンツだから今後の展開が予想も付かないんだけど、それを加味してもハチャメチャ加減が面白いなあという感じ。
作品名が『ヒプノシスマイク』。原作はラノベでも漫画でもアニメでもゲームでもなく、楽曲(CD)。
音楽レーベルのキングレコードが、ヒップホップ文化の拡大・女性リスナーの獲得を計り、ついでにガッツリCD売ったるで~という野望のもと仕掛けた企画のようです。キャラデザが乙女ゲーの会社のようで、そこんところも上手。
昨年の秋に始まったばかりなので、今のところ原作であるCDが6枚しか出ていません。現時点でそのうち七割はyoutubeで、九割はアマゾンプライム等で聴けます。アマプラ入ってる人、チャンスです。
近未来、もしくは別宇宙の日本はバチボコ女尊男卑社会であり、女性が全てにおいて実権を握っています。
東京の千代田区的な場所(多分もっと広い)が高い壁で仕切られた女性専用特区のようになっていて、重要機関は全てそこに集まっている? ハイクラス女性はそこに住んでいる? そんで、その特区に住めない女性と全ての男性が壁の外で日夜領土争いをしている? そんな感じの世界観です。めーっちゃふわーっとしてます。
その世界ではすべての武力が放棄されています。武器と軍隊が存在しない。それじゃあどうやって領土争いするかっていうと、ここでヒプノシスマイクの登場です。
ヒプノシスマイクを通すと、言葉という音に物凄い精神干渉力が生まれまして、要するに相手のメンタルを物理で殴るような真似ができるんですね。で、より攻撃的かつ効果的に言葉をぶつける手段がラップなわけです。
これもはや第二の武力やん、というのは突っ込んではいけないんだと思います。「非合法なマイク」みたいな台詞も出てくることから、恐らくこの世界では銃刀法みたいな感じでマイクの所持が免許制になってるんじゃないでしょうか。知らんけど。
各自治体の中で一番強い奴らを決める小競り合いはたぶん日常的にあって※想像です、それで勝ち抜いたチームがその自治体を代表して他自治体とラップバトルをし、勝ったら領土を貰える?みたいな…そんな感じ…たぶん。
で、いま東京近辺で大きな自治体(=ディヴィジョン)が渋谷・新宿・池袋・横浜。各3名で構成されたこの4チーム=12人が登場人物です。
自治体同士のラップバトルは、ハイクラス女性たちの見世物になっています。剣闘士みたいなもんだね。そのためにわざわざ先述の女性専用特区で行われます。横浜から行くのめんどいな。
現状で分かっている設定はこれだけです。あまりにもふんわりしている。鼻セレブもびっくりの柔らかさ。
「ラップの面白さを知って欲しいから世界観はそこまで重要じゃない」のか、「これからガンガン闇出して行くぜ~(まどマギみたいに)」なのかは分かりません。
私としては男の命のやり取りを見世物にする女尊男卑社会、なんて強めのアッパー打ち出して来たんだから、責任取ってしっかり闇深く掘り下げてほしいなと思っています。まあそしたら風呂敷畳むの大変になるだろうから、もし前者ならこれ以上はデリケートゾーンに触らない方がいいと思う。
閑話休題
私が感心したのは、キャラを使ってラップを打ち出す/ラップを使ってキャラを売る、の巧妙さ。
ラップってめーっちゃくちゃいっぱい喋るんですね。たいていの邦楽ポップスは一曲4分前後だと思います。ヒプノシスマイク(以後ヒプマイ)の楽曲も概ねそんな感じですが、歌詞の量が半端じゃない。これは楽曲が原作にもなります。
ラップの歌詞(リリック?)って押韻と言葉遊びで成り立ってることが多くて、クソ文系女としては漢詩と和歌のハイブリットだな、と思いました。掛詞も本歌取りもあるんだよ!
一口にラップと言っても、ストイックにリズムと押韻で構成された曲、コール&レスポンスがメインの曲、リズムに合わせて散文詩を読むような曲、ほぼポップスなんだけどよく聴くと押韻してる…みたいな曲など様々。原作ありきのキャラソンよりも、各段にそのキャラの思想哲学が濃く出るなと思いました。
現状出ているCDのうち、最初の4枚はまあ各チームごとのキャラ紹介みたいなもんです。1枚のCDにキャラのソロ曲が1曲ずつ+ボイスドラマが2トラック=5トラック構成。ボイスドラマは凄い短くて、あくまでも主役は楽曲(ドラマCD恥ずかしくて聴けないマンとしては大変嬉しかった)。曲を聞いてそのキャラの声、性格、生い立ち、信条等を把握した上で、「この3人はこんな風に出会ったよ」「この3人は集まるとこんな風に遊んだり喋ったりするよ」をボイスドラマで履修する。あまりに無駄がない。
最近出た2枚はいよいよラップバトルで、池袋チーム(Bastar bros)対横浜チーム(Mad Trigger Crew)、渋谷チーム(Fling Posse)対新宿チーム(麻天狼)です。こちらはお互いのチームを罵り合う6人合唱?曲・チームごとの曲×2・ドラマパート×2=5トラック。ラップのスタイルも多種多様なら敵チームへの攻撃の仕方も多彩で、ラップって色々あるんだなあ…面白いなあ…とキングレコードの思惑に乗せられている次第。
あとこの作品が受けた背景には、現代人の多忙さと疲れがあると思っています。そもそも声も滑舌も良い声優さんたちが大きな声で威勢のいいこと喚き散らすんです、無駄に元気が湧いてきます。また、この作品の原作は音楽。読む必要もプレイする時間も必要ありません。ドラマCDを通勤電車で掛けると気が散るでしょうが、音楽なら自転車漕ぎながらでも部屋片づけながらでも聴けます。ついでにCDが割と安い(2000円)。自動予約のアニメ録画やまとめ買いした漫画が溜まる一方のオタク、課金疲れのソシャゲプレイヤー等に刺さったのではないでしょうか。
キャラとしてはこいつが好きだけど、曲作りの趣味はこいつと合って、ライムの刻み方はこいつがいい、みたいな感じでお気に入りも複合的要素があります。わたしはとにかく滑舌とリズム感の良さを押し出してくるラップが好きなので、お気に入りは銃兎・帝統・二郎。一郎は…何か別次元だから…。キャラとしては理鶯が好きです。曲は独歩と一二三が好きです。お分かりでしょうか、この作品のキャラ名は難読です。
ただ一つ、このコンテンツの気に喰わない点を挙げるなら、それはアイドル産業でお馴染みの「投票権商売」であること。
ラップバトルCD(及び一部のグッズ)にはシリアルコードが付いていて、それで勝たせたいチームに投票できるんです。これで勝ったら(負けたら)どうなるのか具体的には分からないんですが、普通に考えて勝ったチーム同士で決勝のバトルCDが出るんでしょう。推しチームやキャラの出番を増やしたいがために、同じCD何枚も買ったり別に欲しくないグッズ大量に買ったりする人が沢山出ると容易に想像できますね。ここは明確にクソだと思います。
いま巷で話題の女尊男卑設定への問題提起、あれに関してはまだ私は早計だと思っているので(前述のように、このコンテンツが世界観をどういう風に扱うのかまだ判断できない)あまり考えていないのですが、投票権商売は本当にクソだと思います。
とはいえ女性向けコンテンツとラップの融合は本当に面白いので、興味を持たれた方はぜひ以下2曲を聞いてみてください(なぜか続けて再生されます)。12人がバトン渡しみたいに歌い繋いでいく曲(軽い自己紹介)と、チームごとに威勢のいいこと言っていく曲(軽いチーム紹介)です。
2018/07/25(水)
13:42
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デンデラ
『暗いところで待ち合わせ』に、べげさんのピクシブへのリンクを貼りました。というか挿絵がべげさんの手によるものであると主張するのを忘れていました。イーン!
あのお話は、べげさんの誕生日に送り付けたものです。
典前の修行がまるで出来ていない素人仕事です。その分べげさんの好きそうな要素を考えて組み込んでみたという、まあべげさんにだけ面白がって貰えたらそれで大満足、というお遊びでした。
そしたらなぜか挿絵が付いて戻ってきてな。
こうなっては公開するのが典前界隈の人々への誠意でしょう。発作的にピクシブアカウントを消したりするかもしれないので、拙い文章ですがサイトにも掲載した次第です。
べげさんの描かれる作品の世界観が本当に好きなんですよね。笑いと哲学の分水嶺。灰色を表現することで黒と白を際立たせるような豊かなモノクロームの世界。
あと、べげさんの絵やお話を読んでいると「関係性の数だけ情念の形がある」というか…要するに愛や恋という言葉の無限の可能性を見る気持ちになります。
もはや二つの存在の間にあるものへ、無理に名前をつけてパターン化することが、ナンセンスに思えてくるというか…自由な気分になれますね。
2018/07/08(日)
21:01
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