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原稿やる気がまったく起きない
萩に行ったとき、気に入って買った萩焼のコップに私は「くじら3号」と名前を付けた。往年のガールズバンド、GO!GO!7188の『とかげ3号』のパクりである。
パクりではあるのだが、そのコップを初めて見たとき、私は「ああこの人はむかし死んで海底に沈んだシロナガスクジラのお腹なのだな」と思い、「くじら3号と呼ぶことにしよう」と購入し、帰宅してからGO!GO!7188のことを思い出したのだ。パクりだろうか。まあどうでもいいけれど。
くじらが好きだ。サメも好き。大抵の海洋生物に親しみを抱いているが、特に広く遠くを泳ぐもの、長く深くへ潜るものに憧れを持っている。
母方の親戚はみな漁師だ。祖父の弟、私から見れば大叔父だが、彼は誰も船を出さないような酷い天候でも必ず漁に出て、大儲けをする人だったらしい。命知らずは漁師にとって誉め言葉だが、あまりに稼ぐので良く思われていなかったようだ。
大叔父は結局、大しけの外洋へ漁に出たとき、船から落ちてヨゴレの群れに喰われて死んだ。浜に流れ着いた体の一部に彼の刺青が残っていて、それで葬式が出せたとか。
会ったこともない人なので、好きも嫌いも無いのだけれど、その死に様はいいなと思った。元々くじら好きだった私がサメも好きになったのは、大叔父の話を聞いてからだと思う。
大叔父を喰ったヨゴレたちはもう生きていないだろうが、ヨゴレという種そのものに大叔父の命が組み込まれたように感じたのだ。大叔父の魂が残るとすれば、流れ着いた背中の皮膚ではなく、生まれ続け死に続けるヨゴレの群れであろうと思った。
大叔父は船から突き落とされたのではないか、という噂は田舎の村のこともあり、未だに残り続けている。しかし嵐の海の前では雑音にしかならないし、ヨゴレにとってもまた無意味だろう。
脂肪を蓄えた鯨が死んで海底に沈むと、無明と低温のなかでゆっくりと分解されながら、その身ひとつで生態系を作り出す。人の体では膨れ上がって浜へ流れ着くのが落ちなので、私は死んだら灰を海に撒いて欲しいと思う。
喰って喰われる海洋生物の環の中に入るうち、いつかこの地球の最も深い海に辿り着けるかもしれない。そこにはきっと大叔父の骨も、大叔父を喰ったヨゴレの骨も、同じ様に積み重なっていると思う。その上に、私も骨を沈めたい。
「くじら3号」でコーヒーを飲むとき私はいつも、音も光もない海の底を思う。
2019/03/16(土)
20:22
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