監獄イベのエルキドゥ的なものについてずっとうにゃうにゃ考えてたんだけど、そもそも七章に出て来たのはエルキドゥではなく、終章に出て来たのもエルキドゥとは断言できない(私はエルキドゥの体を借りたキングゥかな、くらいに思ってた)以上、夏イベの思想犯がキングゥ混じりのエルキドゥでもある意味そりゃそうだという感じなのかもしれないし、そもそもカルデアに召喚できるあのサーヴァントが純度100%のエルキドゥである可能性の方が低いのでは、と最近思っている。
FGOをやってて思うのが、「なすさんの中でエルキドゥは完全に過去の存在なんだな」ということ。エルキドゥはギルガメッシュの人生の半ばで消え去る存在で、だからこそギルガメッシュの未来に無限の可能性が生まれたわけなので、エルキドゥが存在する限りギルガメッシュの居場所はエルキドゥの隣で固定されてしまうのでは? そうするとセイバーを追い求めるギルガメッシュも主人公と星の海へ漕ぎ出すギルガメッシュも居なくなってしまうのでは?
fateシリーズの特徴はスピンオフという名の世界線を変えた無限の未来の広がりだと思うんだけど、その世界でギルガメッシュを最大限自由に遊ばせるためには、永遠に彼の隣に居続けることを求められその資格を与えられたエルキドゥはむしろ邪魔になってしまうのでは? と考えていた。
だからFGOにおいても、純度100%(=ギルガメッシュが生前に出会い交歓し喪ったエルキドゥそのもの)を出せないのではないか。ある意味ギルガメッシュを動かすうえでの禁じ手だから。エルキドゥを設置したらギルガメッシュから全ての遊びの余地が無くなるから。だからあえてキングゥという不純物を混ぜて、エルキドゥ自身に不確定要素=別のIFの可能性を持たせることで、どうにか幅を出そうとしているのでは。
fateシリーズ総決算のお楽しみゲームであるからこそ都合の良いとこだけ摘まんで妄想を楽しんでるけれど、もしかしたら「ギルガメッシュとエルキドゥがカルデアで再会する」っていう妄想はなすさん的にはどうにか手を尽くして避けようとしている嫌な流れなのかもしれないと思ったり、思わなかったり。
つまり賢王ではないギルガメッシュとキングゥが混じっていないエルキドゥによる純度100%のギルエルが不安なく楽しめるのはfakeだけってことになるんですけどね。fakeはすごいね。でもなぁ…王様を好きになっちゃったんだよなぁ…
(2017/09/25)