拝啓 スーツケース殿
あなたが私の物になったのは六年前、私が福岡に来たばかりの時でしたね。
あの頃の私は東京へのホームシックと久しぶりの家族との同居ストレス、プライバシーの概念が無い息苦しい親戚ネットワークに加え、モラハラセクハラ当たり前な田舎での再就職活動で頭が少しおかしくなっていました。
パスポートとスマホと財布だけを持って成田へ飛び、国際線カウンターでその時すぐに乗れて一番遠くまで行けるチケットを取ったときから一月ほどの間、私の理性は消えていました。
正気に戻ったときには何故かアンダルシアでモヒートを飲みながら移民の地位向上のデモ行進に着いて歩いていました。生きているのが不思議です。
とにかくあなたと出会ったのはスペインからの帰国直後、新〇町の鞄屋さんの店先、セール品のコーナーでした。綺麗な空色に目が留まりました。
もうどうなってもいいやという気分で国外へ高跳びし、そして結局おめおめと帰国した私は、ようやく福岡の家に荷物を増やすこと…つまりこのクソ田舎で生きて行くことを飲み込んだのだと思います。
機内持ち込みサイズのスーツケースとの出会いはつまり、東京へ遠征してイベント参加する日々の始まり、その象徴でもあったのです。
あなたとは何度もビッグサイトへ行き、時々はインテックスにも行きました。特売で買ったにも関わらず優秀だったあなたは、イベント参加だけに留まらず、私のありとあらゆる旅行に同行してくれました。
国内では半兵衛の墓参りに岐阜・垂井へは三度も行きましたし、伊達と片倉目当てに宮城福島にも行きました。焼け身の光忠のため水戸へ飛び、大俱利伽羅を見に薬師寺へも行って、同じ時に嵐山で膝丸・北野で髭切も観ることができました。前田くんと五虎退に会いに金沢、京都の刀剣御朱印巡りでは石畳の道を引き回し、伊豆では貞ちゃんと愛染にお小夜と蜻蛉さんにまで会えました。福山へ江雪さんと明石に会いに行ったこともあったなあ。社員旅行で沖縄にも行ったっけ。近距離出張なども含めると全ては到底書ききれません。
国外は上海に香港に台湾、友人の結婚式でマルタにも行ったし、ハワイで海亀と泳いだときもフロリダのディズニーワールドで遊んだときも、いつも相棒はあなたでした。
機内持ち込みサイズという、けして大きなスーツケースではないあなたですが、なぜだかいつもギリギリで荷物を収容してくれるのが、私も不思議なくらいでした。
私の無精もあって、つやつやした空色だったあなたの体には、無数のエアポートタグシールと、それ以上に沢山の細かな傷が付いていきました。
そろそろかな、という感じはしていたんです。
あなたの車輪のうち一個の動作が少しおかしい気はしていました。でもそこに先日の私の、無茶なイベント参加が決定打になってしまいました。
新刊三冊などという気の狂った所業の代償は気力と体力と時間で支払うほかなく、出発直前まで印刷機に掛かり切りだった私は荷造りに割く余裕などありませんでした。
手当たり次第に要りそうなものを放り込んだスーツケースは満杯で、私は体重を掛けて無理やりジッパーを閉めました。重量もかなりのもので、引くたびに車輪から不穏な音が立ちました。
それでもあなたは最後の最後まで頑張ってくれました。あなたの車輪が付け根からもげて、ぽっかりと穴が開いたのは、自宅の目の前の路上。私がタクシーを降りた瞬間でした。
あなたを抱きかかえるようにしてエレベーターに乗りながら、私はあなたと飛び回ったこの数年のことを思い出していました。これでイベント参加も終わりかな、という感傷がどっと重みを増しました。
福岡に来て以来、私にとってはあなたの中身を空にして、紙で包んで箪笥の上のスペースに仕舞うまでがイベント参加であり、旅行でした。けれどもうあなたを仕舞ってあげることはできません。
ずっと部屋の隅に置いたままにしていましたが、次の不燃ごみの日でお別れする決意を固めました。
あなたと出会った経緯、あなたを必要とした理由は、私にとって不本意なものでした。でもあなたと一緒に乗った飛行機や新幹線、あなたを引いて歩いた見知らぬ土地の思い出は、楽しいことばかりです。
私の頭に焼き付いた沢山の旅の思い出の中に、つやつやした空色のスーツケースの姿は残り続けることでしょう。
在庫とか釣り銭とか、重い物ばかり運ばせちゃってごめんね。でもこんなに一つの物を、きっちり使って使って使い倒すことはそんなに無いんじゃないかとも思います。あなたは素晴らしい相棒でした。
今まで本当に有難う。
敬具