――運命に立ち向かっていく人は、そういう感じにしたいんですよ。ジョルノってディオの子供で、言ってしまえば、忌まわしい生まれなんです。他の登場人物よりも、生きている悲しみが、生まれた時から上乗せされているというか。
――だけど、だからこそ、目指す。悪の世界でのし上がって黒を白に浄化しようという、そういうことなんですよ。
(クイックジャパン75号、荒木先生インタビューより引用)
ジ ョ ジ ョ 5 部 ア ニ メ 化
ハレルヤコーラスを聞きながらこれを書いています。そういえば5部が来たってことは6部の可能性も出て来たわけですね。いやプッチは置いといて
ジョジョ5部です。それまでも随所に神話や聖書の影響が垣間見られたジョジョですが、ここに来てギャギャギャっとキリスト教方面にハンドルを切った感のあるGIOGIO Parte5 VENTO AUREO。
ジョジョのサブタイトルは基本的にJOJO'S BIZARRE ADVENTUREですが、第五部に限ってはLE BIZZARRE AVVENTURE DI GIOGIOと表記されます。(JOJOはイタリア語の発音だとヨォヨォになってしまうらしい。)省略形もGIOGIO。舞台がイタリアで主人公もイタリア語を喋るイタリア人だからです。なので5部を語るときにJOJO表記をするとジョジョ警察(居るのか?)を付け上がらせますよ。そのため二次創作界隈では、省略形で全ての部をカバーするために「JOGIO」という造語が生まれました。明日役立つ豆知識です。
違うこんなことが書きたいんじゃない
冒頭の荒木先生のコメントで、刺さる人にはもうブッ刺さっていると思います。
この部の主人公であるジョルノは、ジョナサンの体を奪ったディオ、つまりDIOの子どもです。ジョジョ世界屈指にして最大・最強の悪のカリスマであるDIOの血を引いています。
でも首から下がジョナサンなんだからほぼノーカンじゃない? ジョースターの首の痣あるし、そもそもジョジョの主人公だし。そう思われる向きも多いでしょうが、彼の容姿はほぼDIOですし、何かと言うと「無駄」と口にし、非常に合理的で冷静な判断をするキャラクターです。「目的のためには手段を選ばない」というディオ/DIOの特徴(特長かもしれない)をしっかり受け継いでいます。
しかし彼はジョナサンの息子でもあります。ジョジョ神話の始祖たるジョナサンの、善を為すため正義を求める心を持っている。自らの望みのために弱者や何も知らない人間を利用することに対して、義憤とも言うべき憎しみを抱いている。彼が暮らすネアポリス(ナポリ)の町には麻薬が蔓延っていて、無知な少年を食い物にして私腹を肥やすギャングがのさばっていた。その支配は社会制度やインフラにまで及んでおり、ギャングの存在は生活の一部になっている。
こんな時、ジョナサンなら警察官になったかもしれない。たとえちっぽけな独りの力でも、巨悪に立ち向かって行こうとしたかもしれない。でもジョルノは違う。彼はDIOから「目的のためには手段を選ばない」性質を与えられています。その結果…
“こうして「ジョルノ・ジョバァーナ」は、『ギャング・スター』にあこがれるようになったのだ!”
ギャングを一斉摘発しても、次のギャングに支配されるだけでしょう。第一この街は長年ギャングと共生しており、急にギャングの存在から脱却することはできません。おそらく社会が大混乱に陥ります。だからジョルノは自らがギャングになり、組織の中でのし上がり、自分がボスになりギャング組織の舵取りをすることで、麻薬の浄化と弱者を支配する構造からの脱却を目指したんですね。
どうよこの「覚悟」と「割り切り」。
正義の魂を持った善の人でありながら、目的を達成するためなら憎むべき悪にもなれる。これがジョルノの強さであり怖さです。私はジョルノのことを考えるたびに「ジョナサンとディオの血を引く」という設定の妙を思います。ジョナサンの理想をディオの手段で叶える、とでも言うようなハイブリット。この方お幾つだと思います? 15歳。中3です。
しかしDIOの血を引くことは良い面ばかりではありません。冒頭のインタビューにもあるように、彼は他部の主人公たちには無い陰を生まれながらに背負っています。もうこれは「原罪」のモチーフと断言しても良い。なにせDIOはイタリア語(ラテン語)で「神」を意味する言葉です。「神の子」として傑出した能力を持つジョルノは、同時に「父殺しの子」という烙印を知らず押されて生まれてきました。余談ですがジョナサンとディオが主人公を務める第一部は『エデンの東』を意識していたと…美術手帖の対談だっけ…後で確認します…で先生が仰っていました。そりゃジョルノの愛読書も『レ・ミゼラブル』になるというものです。根本的に設定が重いんです。
母から愛されず義父に虐待されて育ったジョルノは、間違いなくジョースター家よりディオとの方が共通項が多い。DIOの血統であるというのは勿論ですが、普通に生活環境が彼の物の考え方や世界観を形作った結果とも言えるでしょう。ジョルノはよく他部の主人公に比べて「人間味が薄い」「感情移入できない」「クール過ぎて腹黒っぽい」などと言われます。分かる。よく分かる。でも自分の本心を隠し感情を抑える彼の振る舞いは、彼の背負った物と育った環境の当然の帰結と私には思えます。逆にこの設定のキャラクターが仗助みたいに懐っこかったりジョリーンみたいな激情家だったりしたら、途端に原罪が軽くなりませんか? それにさ…
ジョルノ様は罪を背負っても神の子なんですよ。
主人公(世界の枠組み)さえ殺し、不老不死を手に入れて、1部から6部まで絶え間なく物語に影響を及ぼしたDIOは、間違いなくジョジョ世界の神です。それと同時に、ジョジョ神話の発端であり、後の子孫へ受け継ぐ魂の資産ともいうべき正義の心と精神力を生み出したジョナサンもまた、創世記の神と言えるでしょう。善悪二柱の神の血を受け継いだジョルノ様が、日々のシノギや目先の金や麻薬のために若い命を次々に散らす、この世のどん詰まりのようなギャングの抗争に投げ込まれたんです。そりゃちょっと存在感が異次元でもしょうがないんじゃないでしょうか。
既得権益やら癒着やら汚職やら、そういう日々の沼に腰までずっぽり嵌ってもがいているギャングたちの世界に、痛みと理想を胸に抱いたジョルノ様が降り立った。そこから始まる5部の物語は、たった一週間の話です。でもそのたった一週間の間に、大勢の人間が死に、組織は生まれ変わり、街の景色は変わります。ジョルノ様はどん底の沼に容赦なく照り付ける太陽であり、淀んだ空気を一掃するつむじ風でもありました。ジョルノ様という存在が通り過ぎるところで人々は殺し合い、正しい人のみが生き残る。ジョルノ様は「そこに在る」というだけで人の運命を加速させる。私の言いたいことが伝わっているでしょうか。
ジョルノ様はミケランジェロのダビデ像をモデルとして造形されたキャラクターです(これは先生が様々な場面で仰っています)。神託を受けてイスラエルの王となり、巨悪を倒した美少年です。
最終局面、矢を受け取ったジョルノ様の変貌…進化…いや、あれは神の本性を顕わにされた、というのが正しいでしょう。正直あの状態のジョルノ様と肩を並べられるのは彼の父親たちしか居ないと思います。それまでが味方のサポートに回ることが多く、一歩引いた印象の多いジョルノ様だからこそ為せる「凄味」。彼は神の子であり王である、ということをまざまざと見せつけられます。その理解を抱いたまま読者は最終ページに至る。ジョルノ様に感情移入できないとか当たり前なんです。私たちはただ見届ければ良いんです。
一気に書き過ぎて頭が息切れしてきました。
・ジョジョ5部アニメ化オメメタァ
・5部の主人公は1部の主人公たちの血を引いているよ。親の面影が見どころだよ。
・いっぱいキャラクター出てくるけどいっぱい死ぬよ。ギャングの内部抗争の話だから当たり前だね。
・主人公のことは群像劇にトリックスターとして登場した神様だと思って、若い男たちの生き様と決断と死に様に心を震わせるのが私のお薦めの読み方です。死んだ男たちの意志は、最後に神様が引き受けてくれますから。